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​イタリア

フィレンツェ到着!

​フィレンツェ到着!

 コペンハーゲンからドイツ経由でイタリアに入り、朝の9時に花の都フィレンツェに到着!


イタリアではフィレンツェに4泊しながら日帰りでローマやピサに行くことにした。

(大荷物を引きずって ちょこちょこ宿探しするのに疲れてきたのだ)


 駅のそばに安宿がたくさんあり、1泊4000円位の所でもちゃんとバス・トイレが付いているので 

 

イタリアに入って物価の安さを実感した。(ドイツでは5000円でも共同シャワーだった)



 少し街を歩いてたら突然大雨が降ってきたので、

この日は宿に帰り、夜行3連続の疲れと睡眠不足を解消するように眠り続けた。

イタリアの革ジャン屋

イタリアの車掌

 翌日、日帰りでローマへ行くことにし、

 

電車に乗ったら、6人がけのコンパートメントには私一人だけだった。

 「ラッキー♪」と自分の部屋のようにくつろぎ

窓の外を見ながら旅愁に浸りきっていたら、突然ドアをノックもせずにガラガラッと開け

 

勢いよく車掌が入ってきたので心臓が口から”ノルッ”と出るほど驚いた。(リアル?)


 パスをチェックされ、イタリア語で何か喋ってきたので

「イタリア語わかりません」と言ったら、カタコトの英語で

「どっから来たのか?」と聞かれた。


 『パスに書いてあるだろうが』と思ったが、笑顔で

「日本から」と答え、暫くあたりさわりない会話をしていたら

いつの間にか車掌は私の向かいの席に座り込んでいた。


 「他の車両は行かなくていいの?」と聞いたら

「ノープロブレム」と結局ローマに着くまでずっと喋り続け、帰り際に

「ローマを一緒に廻ってあげられなくて残念だ。帰りは夕方○○時の電車にいるから是非乗ってくれ」と言って去っていった。

もちろん 帰りは○○時の電車を避けて乗ったのは言うまでもない。

syasyou.bmp

ローマに着くまで話し続けた車掌。

韓国人シン

韓国人シン

 その翌日は、ピサに行き有名な斜塔を見に行った。


だが斜塔を見るとすることがなくなったので、広場に生えているクローバーに

『四葉でもないかな』と探してみたらなんとすぐに見つかった。

(こっそり引き抜き手帳に挟み、今も大事に持っている)


 手持ち無沙汰に斜塔に隣接している納骨堂をブラブラ歩いていると、

1人で来ているらしい男性に写真をとってくれと頼まれた。



 快く引き受けた後、お互いそれとなく自己紹介が始まり、

 

その人が韓国人で名前はシン・スーファン、仕事の関係でイタリア語を学ぶために

フィレンツェの学校に通っていることが解った。


 シンは日本に少しだけいたことがあり、日本語が話したくてしかたないらしく

色々日本語で話しかけてくるのだが、はっきり言ってシンの日本語はメチャクチャだった。


 でもシンは自分の日本語に自信があるらしく、

私が英語を使うと傷つくので会話は日本語オンリーに・・



 シンとの会話は、前後の内容から来る憶測とかなりの想像力が必要で

苦労して会話すること30分、やっとわかったのは

”最近シンの学校でパーティーをした”という事だけだった。

(パーティーを”パチ”と言い切っていた)


 日が暮れそうなので「もう帰らないと」と言うと、

「じゃあ僕も」と言うので一緒にフィレンツェまで帰り、

結局夕食まで一緒に食べることになった。(だんだん気が緩みつつある)


 翌日ヴェッキオ橋(幅が広く、両側にお店がびっしり並んでいる観光スポット)

 

を歩いていたら、すれ違った人が後ろから

「ボンジョルノ!ボンジョルノ!」と声を掛けてきたので

『土産物屋の押し売りに違いない』と無視していたら、なんとシンだった。


 「今から学校だけど夕方には終わるから6時にここで!」と当たり前のようにいうので、

「う、うんわかった」とつるっと言ってしまい、

結局(この言葉もよく使ってるかな)2日続けてシンと夕食を食べた。

     
この日の夕食は中華で、シンはデザートの桃まんじゅうについてのうんちくを1時間位語っていた。

sin.bmp
イタリアの車掌

​イタリアの革ジャン屋

 10月18日、日本を出てから早いものでもう一月がたとうとしていて、

日増しにきつくなっていく寒さに、薄いコートでは凌げなくなってきたので

もっと厚手のコートが欲しくなってきた。(計画性なさすぎ)


 広場に面したお店で 赤いスエード調の革のジャンパーを見つけ、

デザインにひと目惚れしてしまったので値段を聞くと(日本円にして約)4万円だという。


 どうしようか迷っていると 店のおじさんが

「3万5千円にしてあげる」と一気に5千円も値下げしてくれたので

『これは 値切ればもっと安くなるかも』と、ケチケチ根性が働き

「もうちょっと安くしてくれればなぁ・・」と言ってみた。


 するとおじさんは『何が不満なんだ』という顔して、

そのジャンパーを こぶしでたたき始め、

「衝撃に強い!」と言い、続いてどこから持ってきたのか霧吹で水をかけ

「水にも強い!」と商品の素晴らしさを必死にアピールしてきた。


 そして『おいおい、やめてくれよ』と思うのも束の間、

今度はライターの火で燃やそうとし始めた。

(たぶん 「火にも強い!」 と言いたかったに違いない)

 

 燃やされてはたまらないので、思わず

「わかった! か、買います!」と言ってしまい、結局そのジャンパーは3万5千円で私のものに・・ 


 ちょっと高かったけどそのジャンパーはすごく暖かくて、

その後の旅にしっかりと貢献してくれたが、防火の効果があるのかは不明。

(ジャンパーを着ている写真はスイス編にあるよん)

迷わずにいられないヴェネチア

迷わずにいられないヴェネチア

 フィレンツェで4泊した後ヴェネチアへ行き、

「花の都の次は 水の都だー♪」とワクワクしながら歩き始めた。


 最初に断わっておきたいのだが、私は決して方向音痴ではない。

日本でも地図さえあればたいていの場所に迷うことなく行き着けると自負している。


 

 だから『地○の歩き方』に”ヴェネチアは迷いやすいので注意”と書いてあっても

『地図さえあれば大丈夫よ♪』とたかをくくっていた。


 だがっ!!

 

実際にヴェネチアを歩いてみたら、地図を見て歩いているのに

 

ほんの1分もたたないうちに自分が今どこにいるのか解らないありさまに・・


 ヴェネチアは、とても複雑に入り組んでいて

そのまま進んでいくと行き止まりのパターンというのが多く、

元に戻ろうと同じように帰ったはずが、全く違う場所だったりする。

(ベネチアには車は入り込めないので、運河が道路の役割をしていて陸は運河の都合で遮断されてる)


 でも、根がいい加減な性格なので

『まあ、夜行に間に合うように駅に着けばいいか』と

迷ったまま、いきあたりばったりのお店を覗いたり

 

何の広場か分からないまま散歩したりして楽しんだ。

 

 そして夜行の時間が近づいたので、

『さあ、そろそろ駅までの道を聞きながら行かなきゃ』と思い

そばにあったお土産物屋さんに入り道を尋ねた。


 お店にはおじいさんがいて

「駅までの道は口で言ってもたぶん迷うだろうから、こいつらに付いて行け」

と、お店にいた若い男の人2人に「頼んだよ」みたいな事を言っている。



 『いいのかな』とは思ったが、2人とも快く

「じゃあ、一緒に行こう」と言ってくれたので、道案内してもらうことに。


 歩いていくと、駅までの道は想像を絶するほど困難で 

もし私1人だけだったら 絶対駅まで行けそうもなかった。(マジマジ)


 途中、人通りの少ない暗めの場所があったりすると、お兄さんたちは

壁に書かれているイタリア語の看板を指差し

「ここに”駅への道”って書いてあるからね」と言い訳するように言い

『決して変な場所に連れてきはしないから』みたいに安心させてくれた。


 こうしてなんとか駅にたどり着くことが出来、

『本当に人の親切って有り難いな』と実感した。

そして再び夜行に乗り、今度はヨーロッパ第5の都市オーストリアのウィーンへ出発だ! 

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