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​スペイン2

フラメンコとの出会い

​フラメンコとの出会い

スペインにはフラメンコという有名な踊りがある事は知っていたが

正直あまり興味が無く、スペインに来てもあまり見たいとは思わなかった。


 

でもある日アルボルの居間で、一人旅の「たくみちゃん」という男性と話していたら、

 

フラメンコの話題になり、

「一回くらい見ておきたいんだよね」 

 

と言うので、流れで一緒に見に行く事になった。


マドリードでは老舗のお店をオーナーに教えてもらい、いざお店に。

ステージは正方形状で意外に狭く、ダンサーが4人その四隅に座っており

ちょっと年配の男性が2人ステージに上がってきて椅子に座り、

一人がもう一人のギターにあわせて、マイクなしで唄いはじめた。


唄はとても上手く、しばらく物悲しいメロディーが続いた後

だんだんテンポが早くなり、それにあわせ4人のダンサーも足で拍子をとり始め

だんだん盛り上がってくるとダンサーの一人が椅子から立ち上がり、

『もう我慢できねえぜ』とでも言いたそうに ステージの真ん中にやってきた。


そして踊り始めたとたん私はビックリしてしまった。


 

なぜなら、今まで私はフラメンコをただの明るい華やかな踊りと思っていたけど

目の前で踊っている女性は、とても恐い顔をして地団太を踏み、

髪を振り乱しながら何かに激しい怒りをぶつけているようで

踊りというより、獅子舞を見ているようだったから・・


でも、そのうち気が済んだのかダンサーはパッと笑顔になり

今度は恍惚の表情に変わって、自己陶酔に陥ってるように踊ると

また急に思い出したようにキッと観客を睨みつけ

『さあ、ごらん!』とばかりに今度は挑発的な踊りが始まった。


その踊りはとても見事で、とにかく足がすごく

早い動きで独特のリズムを刻みながらも、手はくねくねと別の動きをしていて

さらに目で挑発は欠かさないと来たもんだから、私は引き込まれっぱなし状態に。


その後、他の3人のダンサーがそれぞれ個性的な踊りを踊った後

フィナーレで全員揃って踊ってくれて、終わる頃には感動で胸が一杯になった。


 

一緒に行ったたくみちゃんも感動したらしく

「いや~、行ってよかったね」と2人とも大満足して帰った。  

白雪姫のお城

​白雪姫のお城

アルボルの居間で、ガイドブックを見ながらふと

「どっか行きたいなー」と呟いたら、それを聞いたいずみちゃんが

「隣の部屋にセゴビアに行きたい女の子がいるから一緒に行ってきなよ」と

なかば強引にその女の子の部屋に連れて行かれ、

「この子(私のこと)一緒に連れて行ってあげてくれない?」と頼んでくれ、

思いがけず その子と日帰り旅行に行く事になってしまった。

(子供の頃 母が近所の子供たちに「この子も一緒に遊んでやってくれない?」

 

と言ってくれたのを思い出した。)


突然の申し出にもかかわらず、喜んで一緒に行ってくれた女の子は

20歳の知美ちゃんといって、2人でバスに乗ってはしゃいでいると

なんとなく学生の頃に戻ったみたいで楽しかった。


セゴビアは白雪姫城のモデルとなったお城と、水道橋が有名な町で

バスターミナルからお城を目指して歩いていくと

普通の見慣れた現代の町に、突然石造りの、何百年前に作られたであろう

でっかい水道橋が現れて度肝を抜かれ、その姿に圧巻された。


水道橋を一通り歩くとお腹がすいたので、ここで 

セゴビアのもうひとつの名物、子豚の丸焼きに挑戦することにした。


 

『地○の歩き方』によると(またかよ)子豚のお肉は

お皿で切れるほど柔らかいのがウリだそうなので、2人ともワクワクしながら

レストランに入り、執事のような年配のウェイターにガイドブックを見せながら

「ローストポーク、OK?」と聞いた。


するとウェイターは、早口のスペイン語でベラベラっと何か言って

「OK?」と聞かれたので、思わず2人で「OK」と言ったら

出てきたのは子豚ではなく、鳥の丸焼きだった。


きっとあのウェイターは、

「ブタないんだよねー、トリでもいっかなー?」とでも言ったに違いない・・


2人とも軽いショックを受けたが、気を取り直して

「こ・・これはこれですごくおいしそうだよね」と1人に1羽ずつの

鳥の丸焼きを食べると、マジですごく美味しくて驚いた。


外の皮はパリっと香ばしく、中の肉はとってもジューシーで

味付けは、たぶん塩と胡椒とオリーブオイルだけなんだと思うのだが

肉の味と焼き具合が素晴らしかったのだ。


その後知美ちゃんとメインのお城に行き、王の椅子に座ったり

バルコニーからスペインの田園風景を眺めたりして

セゴビアでのとても充実した1日は終わった。

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知美ちゃんと

亀ジイ

亀ジイ

翌日、再びアルボルの居間でいずみちゃんと話していたら

「一緒にセビージャに行かない?」と誘われた。



私はセビージャの町がどこにあるのかも知らなかったが、

マドリードのような都会に飽きていたので、2泊の予定で一緒に行くことにした。


当日もう一人、まゆみちゃんという個性的な女の子も加わることになり

3人でセビージャ行きのバスに乗り込んだ。


 

そして、しばらくするといずみちゃんが 

「ちょっと朝ごはん食べるねー」と言って、リュックから

スーパーで買ったと思われる食パンと、お徳用のでかいマーガリンを取り出し

慣れた手つきで、マーガリンをパンに塗って食べ始めた。


いずみちゃんは私よりも旅にかける日数が多く、これからも

アフリカとか行かなければならないので節約しているようだ。


 

私も自分なりに節約してきたつもりだったが、

いずみちゃんを見て『まだまだ甘かった』と感心する次第だった。


そして、約6時間かかってセビージャに到着!

セビージャは思っていたより都会だったけど、マドリードとは全然違ってて

アンダルシア地方特有の開放的な雰囲気があり、古い町並みが美しいところだった。


3人で約4千円のペンションをかりて町を歩いてたら、後ろから

「ハポン?ハポン?」 と声がするので

振り向くとそこにおじいさんが立ってたのさ。(BGM ♪恋は魔法さ)


”ハポン”とは スペイン語で ”日本”という意味だったので

「はい、そうです。」と答えると、おじいさんは

「そうかぁー、私ね、日本人でここに住んでるんだけどうちに遊びに来ない?」

と言うので、3人で相談した結果全員一致で遊びに行く事に。


おじいさんは亀井と名乗り、

「亀ちゃんでいいから」というので、私たちは亀ちゃんと呼ぶ事にした。


 

亀ちゃんの家は、大聖堂のすぐそばの便利な場所にあった。


2LDKのキレイなマンションを1人で借りていて、1人ではとても広すぎるので 

町で日本人の旅人を見つけては声をかけているらしかった。


泊まりたければ、1泊千円で泊めてくれると言うので、

私たちはさっき借りたばかりのペンションをキャンセルして

亀ちゃんの家に移動することにした。


亀ちゃんが宿帳みたいなノートを持ってきて、住所と名前だけ書いてくれ

と言うので書くと、そのノートにはすでに90人くらいの名前が書いてあって

みんな亀ちゃんの家でお世話になった人たちみたいだった。


亀ちゃんの家には,部屋のいたるところに油絵が飾ってあり、

その中に亀ちゃんの自画像があったので

「もしかして、画家ですか?」と聞くとまさにビンゴで、

セビージャで開かれた個展のパンフレットを見せてくれた。

 

 

すごいぞ、亀ちゃん!


セビージャでは、前年に万博が開かれていて

亀ちゃんはその時の様子をたくさんビデオに収めており、私が名古屋出身だと知ると

「このビデオを2005年の愛知万博に役立てて貰いに

名古屋市長に会いに行くから、あんた案内してくれ」と言われ、   

実際、翌年日本に帰国後本当に亀ちゃんは名古屋にやってきて

私を引きつれ市長に会いに行ったのだ。(当時は西尾市長)


でもアポなしだったので、”万博誘致室” の室長さんに 

市長に会うのは丁重に断られ

「ビデオだけでも渡しといてくれ」とビデオを置いていき、

そのお礼として、室長は万博がらみの粗品をくれた。(本の栞だったかな)

 

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​これが亀ちゃんだ!

再びバルセロナへ

​再びバルセロナへ

亀ちゃんの家はとても居心地がよく、

2泊の予定が気がつけば1週間もたっていたので

私はそろそろセビージャを出ることにしたが、他の2人は

「もう少しここにいるねー」と言うので、私だけ先に出発する事に。

(後で聞いたら、2人は一ヶ月もいたそう)


せっかくだから、どこか他の町に行こうかとも思ったけど

バルセロナのチキートが妙に懐かしくなったので 

結局またバルセロナに戻る事にした。


午後3時、セビージャのバスターミナルに行き

窓口でバルセロナ行きのバスはあるかと聞くと、丁度10分後に出るのがあり

到着予定時間は8時だったのでそれに乗ることにし

チキートに電話して部屋の予約をしておき、いずみちゃんたちに見送られバスに乗った。


ところ夜が、8時になってもバスはいっこうに停まる気配が無く

ちょっと心配になってきたが、9時過ぎくらいにターミナルに停まったので

『よかった、着いたー♪』と降りようとしたら、

なんとそこはバルセロナではなかった!


『えっ・・バス間違えたのかな?』と思い、運転手さんに

「バルセロナは?」と聞くと、怪訝な顔して

「まだだよ」と言うので、怪訝な顔には納得いかなかったが

とりあえず行き先は合っていることに安心した。


ところが、バスは深夜0時をまわってもまだ走り続け

次にやっとバスが停まったのはなぜかドライブインだったので、さすがに

♪どこにたどり着くのか~自分で解ってるのか~・・と思い 再び運転手に

「8時に着く予定じゃあ・・」と聞くと、運転手が

「うん、朝のね。」と言ったので、

ここで初めて私が大きな勘違いをしてた事に気づいた。


そう、なんとセビージャ→バルセロナはバスで17時間もかかるのだった!

『うわ、移動時間最高記録かも』と思いながらも

ひと気の少ない真夜中の異国のドライブインで一人でコーヒーを飲んでいると

なんだか妙に気分が高揚し、一曲歌でも作れそうな勢いで悪くなかった。


再びバスに乗り、真っ暗な窓の外を見ているうちに眠ってしまったが

ふと目を覚ますと、まだ暗い窓のはるか先にバルセロナの街の灯りが

宝石のように輝いているのが見え、夜明けとともに

その消える事のなかった灯りが太陽の陽に馴染んでいくさまは

忘れがたいものだった(・・と当時の日記に書いたけど正直忘れてまーす)

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​バスの窓から見たバルセロナの街

スペインでの日々

スペインでの日々

17時間のバスの旅を終え、フラフラになりながらチキートに到着し

懐かしい居間でモーニングコーヒーを飲んでいると、

新しく来たらしい女の子が入ってきて「おはよう」と言ってくれた。


私も「おはよ・・」と言いかけたが、彼女の顔を見て言葉が止まってしまった。

彼女の顔にはくっきりとした青アザがついており、強く殴られた後みたいで、

さらに目の周りには切り傷があり、血のあとが生々しく残っていたのだ。


彼女の話によると、グラナダを一人で歩いてたら、人通りの少ない場所で

少年3人組に囲まれてパスポートから現金から全て奪われてしまったので

ここでパスポートの再発行を待っているということだった。


彼女は大阪人の竹ちゃんといい、私と同じ年で同じく一人旅をしており、

「今回は人数で負けたけど、次回会ったら許さへんでー」と勇ましかった。


 

私は。マドリードでこっそり抜かれた荷物ごときであんなに落ち込んでたのに

竹ちゃんは顔を殴られ、メガネを割られても元気いっぱいで

「ほら見てみ、救世軍スープや。」と、自炊したおかゆ(殆どお湯だった)を見せてくれて

『見習わなくては・・』と思った。


チキートには、入れ代わり立ち代りいろんな人がやってきて

夜の居間は旅人同士のちょっとした社交場になり、毎晩楽しい話を聞く事ができた。


フランスから自転車で来た人や、70歳でバックパック背負って

1人旅してるおじいさん、あと普通にスーパーにいそうなおばさんもいたりして

年代・性別・職業をこえて、同じ場所で楽しく話し合ってるのが面白かった。


時にはフロイトの心理学について熱く語る人などが

難しい議論をもちかけてくることもあり、そういう話を聞く分にはいいのだが

「で、あなたはどう思う?」なんてふられたらおバカがばれてマズイので

そういう時は、こそこそ部屋に引きこもって絵葉書など書いて過ごした。


よく『外国来てまで日本人ペンションに泊まるなんて』という人もいるが

今回実際泊まってみると、一人では行きづらいとこにも行く事が出来たり

日本ではなかなか知り合えない人に出会えて、刺激を受ける事が出来るなど

メリットは大きかったと思う。


勿論、出来ればせっかくの海外なのだから現地の人と会話をしてみたいけど

なにしろ語学がついていかないのだ。


 

だから今度また行ける機会があれば、その時は

現地の人ともたくさん話せるよう、帰ったら語学の勉強を始めるんだと誓った。

(同じ日本人でもこんなに刺激を受けたのだから、外国人ならさらに

突拍子も無い考えを持った人と出会えると信じている。)

 

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​約一か月過ごしたチキートの部屋

いざ日本へ!

いざ日本へ!

楽しかったスペインの日々も終わり、いよいよ日本に帰る日。

マドリードの空港に行くと、最後にもうひとつポカをしてしまう事になる。(言い回しが昭和!)


日本を出るときはガラガラだったスーツケースが、

この3ヶ月の間にパンパンになり、さらにもう1つトランクを購入してたので

チェックインカウンターで荷物が重量オーバーだと言われてしまったのだ。


何も考えず、只安いからとスペインのスーパーでお土産にと思い

ワインのフルボトルを5本と、瓶入りのオリーブオイル3本買ったのが原因かも。

(その他食器類も沢山買ったし、木彫りのふくろうも効いてるようだった。)


重量オーバーは18キロもあったので(!)トイレに行き、

機内持ち込み用の鞄になるべく重いものを入れ、涙をのんで

ジュース類は捨てることにしたが、それでもまだ12キロオーバーだった。


結局超過料金を払う事になり、1キロ1万円のところ

お姉さんのお情けで5万円に負けてくれたが、

最後の最後にこんな馬鹿みたいな失敗をしでかしてしまうとは・・


そして、いよいよ飛行機が3ヶ月ぶりの名古屋空港の上空にきたので

窓から『わーい、ただいまー♪』と名古屋の街を見下ろすと、

12月のどんよりした灰色の町はやたらとパチンコ屋の看板が目立って

わが街ながら情けなかったが、やっぱり住み慣れた場所というのは

何物にもかえがたいものがあり、故郷って良いなと思った。

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