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​マレーシア

​初日

9月22日夜中の12時、無事マレーシアへ到着!!

夜中着だったのでこの日は空港内のホテルで泊まる事にし、

(空港ホテルと翌日のホテルまでは日本から予約してもらっていた。)

『さあ~ここからは日本語ダメダメよ』とドキドキしながらチェックイン。


本当にちゃんと予約できているのか心配だったが、

幸いなんのトラブルもなく 温かいベッドにありつけ、

『もし泊めてくれなかったら、ああしてこうして・・』と飛行機の中で

2時間ほど考えていたことも取り越し苦労に終わる。(小心者なのだ)

(ちなみに ”ああして” の方は空港で夜明かし、

”こうして” の方は玉砕覚悟で町へ出てホテル探しというもので、

玉砕した時の事は考えないようにしていた。)   


翌日の朝、ホテルをホ○デー・インに移動し、散歩にでてみることに。

異国人街があったので覗いてみると、結構広範囲にわたって

インド人街、中国人街といったアジア系のお店があり、

どれも魅力的だったので夢中で歩き廻っていたら3時間も過ぎていて、

さらにもう一回同じ所を歩いていたら(違う場所行けって?)日が沈みかけていた。


行動範囲は 日没までの約束だったので急いでホテルに戻り、

ウェルカムサービスのドリンクを飲んでこの日はあえなく終了・・

丸一日同じ場所で過ごしてしまうなんて!

こんな調子でこれから大丈夫なんだろうか・・?

初日
タクシー運転手マテウアブラハム

​タクシー運転手マテウアブラハム

翌朝10時。

今日はいよいよヨーロッパ最初の都市 オランダのアムステルダムへ!

出発は夜だったけど、荷物だけでも空港に預けようと思い、

フロントでタクシーを呼んで貰ってタクシーに乗り込むと、

 

ウィッキーさんみたいな運転手が色々話しかけてきた。


 運転手はマテウ・アブラハムという名で、出発まで時間があることを知ると、

「よし、じゃあ僕が時間まで市内観光してあげるよ」と言ってくれた。


市内観光は魅力あったけど、『地○の歩き方』によると

マレーシアで一日タクシーを借り切ると一万円くらいだと載ってたので

「お金ないからいいです」 と言ったら

「そんなのいらないさ! 僕の好意なんだから」みたいなことを言う。(私の勝手な通訳)


でも、さすがにそんな訳にはいかないので、考えた末 日本円で五千円札を見せ

「これだけしかないよ」と、言うと マテウはにっこり笑って承知し、

結局 五千円で市内観光をお願いすることに・・(意志も弱いのだ)


マテウは張り切って、有名なブルーモスクやら郊外の景勝地に案内してくれ、

お昼には、いかにも観光客の喜びそうな(もちろん私も大喜び)

バナナの葉を お皿にしたカレーをご馳走してくれた。


スプーンがなかったので『やっぱ本場は手で食べるのよね』と思い込み、

郷に入れば郷に従え精神で、いさぎよくカレーに手を差し込んだら

あまりの熱さに思わず 「うぎゃあ!」


それでも、涙をこらえながら一口食べ

「デ・・デリーシャス」と作り笑顔まる解りの状態でいると、マテウが大笑いしながら

「スプーンで食べるんだよ」と言うので辺りを見たら

地元の人たちはみんなスプーンで食べていた。(店員がスプーン忘れただけだったみたい・・)

”思い込みは危険だ”という事を身をもって体験した気分だわ。

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​この人がマテウアブラハム

(​ブルーモスクの前で)

マテウの家

​マテウの家

食後再びタクシーに戻り、すっかりくつろいで

『さ~次はどこ連れてってくれるのかな?』と

ワクワクしていると、ふいにマテウが住宅街の一角で車をとめた。


そして目の前の家を指差し

「ここは僕の家なんだ。さあどうぞ」と言うので、くつろいだ気分が一気にひいて緊張が走った。


「えっ!家はダメだよ!」と
思わず日本語で叫び、パニックになりかけてたら

家の中からマテウの家族らしき人たちが6人ほど出てきて、

みんな笑顔で「WELCOME!」と迎えてくれたので、

とりあえずホッとし、言われるまま
あっさりとお邪魔することに・・(注:絶対にマネしないでください)



家の中に入ると広い土間のキッチンがあり、その奥にある応接間みたいなところに案内されると

テーブルにはジュースや果物やお菓子がたくさん並んでいた。

(どうやらマテウが途中で電話して用意してもらったらしい)


家族はお兄さん夫婦とその子供二人とお母さんとおばあちゃんだった。

お兄さんは政治関係のお仕事らしく、居間の壁に掛けてある写真に

お兄さんと一緒に写ってる人を指差し「大統領だよ」と教えてくれた。


きっとすごい人なんだろうけど私の英語力は中学レベルなので

 

ガバメントとプレジデントを聞き取るのがやっとだった・・


おばあちゃんは日本の文化にとても興味があるようで

歌舞伎とか浮世絵の世界について色々と質問を投げかけてきたが 

勉強不足で満足な返事が出来ずしょんぼりしていると、

「じゃあ何か日本の歌を聞かせてちょうだい」と言ってきた。


『よし、歌ならいっぱい知ってるぞー!』と元気復活。

ちょっと恥ずかしかったけど、家族の見守る中 
”帰ってこいよ”を熱唱! 

  

みんな喜んでくれて、(喜んでくれたと信じたい!)

「今日は飛行機で風呂に入れないだろうから家で入っていけ」

 

と言ってくれたので、言われるがまま

 

ずうずうしくもお風呂まで入ってしまった。
 

mateu2.bmp

​マテウの家族と

楽しい時間はあっという間に過ぎ、マテウが

「じゃあ、そろそろ空港に行こう」と切り出すと、お母さんが

「ちょっと待ってて」と、言いながら 別の部屋へ行き、小さな木箱を持って戻ってきて、笑顔で 

「旅の思い出に」と言って渡してくれた。


中を開けると、きれいなポプリが入っており、私が感激しているとそれを見ていたおばあちゃんが

いかにも ”私も何かあげなくちゃ”
という表情でキョロキョロ辺りを見回し、

その視線がふと、壁にかけてある木彫りのふくろうで止まった。


まさかと思ったが、そのまさかで

 

おばあちゃんは壁からふくろうを外し、私に向かって歩いてきて、勝ち誇ったように

「旅の思い出に」と渡してくれた。
いいのか、ばあちゃん!?


だが他のみんなは、当たり前のように

「おぉ、それはいい」とか「何か包むものをもってこなきゃ」

みたいな事を言い(あくまでも私の勝手な通訳)、

新聞紙で包んでくれたので ありがたく受け取るとズッシリと重かった。


私も何かお返しがしたかったが、まさかこんな出会いがあると

思ってなかったので、気の利いたものを持ってきておらず、

(こんなことになるなら日本で寿司の湯飲みでも買っとけばよかった。)

スーツケースにおにぎりせんべいと
フリーズドライのお汁粉があったのでそれを渡し、


「これはお湯をかけて食べてね」と言ったが伝わったかな?


家族に見送られ空港に着くと、マテウが

「ちょっと待ってて」と言ってどこかへ行き、

 

蘭の花で出来たレイを持って帰ってきて私の首にかけてくれた。


『検疫通るのかな』と考えながら笑顔で

「ありがとう」と受け取ると、
今度はマレーシアドルで千円程差し出して

「マレーシアドルなかったよね?これで夕食にパンでも食べて」
と言ってくれた。

(しつこいようだが私の勝手な通訳)


マテウには五千円しか払ってなかったし昼食もご馳走になったので

 

「ダメだよ~」と断ったが、マテウは強引に私の手にお金をねじ込んだ。

こんなんで 今日一日商売になったのかとても心配だ・・


そんなこんなで、またもや温かい見送りを受け

いよいよヨーロッパ第一の都市、
オランダのアムステルダムに向け出発!!

だがその飛行機の中でもまた出会いが・・

別れの時

別れの時

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