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​オランダ

鬼コーチ登場

鬼コーチ登場

オランダ行きの飛行機は、ドイツのフランクフルト経由で、私は三人がけのシートの窓際の席だった。

隣の席はメガネを掛けた学生風の東洋人の男性で、通路側には白人の女性が座っていた。


機内サービスのコーヒーを飲みながら”旅の6ヶ国語会話集”を読んでいると、

隣の席の東洋人の男性が、ニコニコしながら英語で

「ドイツに行くの?」と話しかけてきた。



「飛行機ではオランダまで行くけど、その後は鉄道でドイツに行くよ」と答えると、彼は

「よかったらドイツ語教えてあげようか」と言ってくれた。


聞くところによると彼はドイツ在住の台湾人で、

見かけこそのび太くんだったが、何を隠そうドイツ語と英語を操る

 

立派なビジネスマンだったのだ。


夜間飛行だったので本当は眠りたかったが、せっかくなので

「じゃあ、少しだけ・・」と教えてもらうことに。


彼はABC(アーベーツェー)からとっても丁寧に教えてくれたけど

英語もろくに出来ない私が、英語によるドイツ語の説明を理解するのはとても大変だった。


30分過ぎた頃から疲れてきて、

『もういいんだけど』と思ったが、やめる気配は全く感じられなかったのでもう少し頑張ることに。


 

さらに2時間位過ぎ、さすがに苦痛に思えてきたので

「疲れたね」とか「もう寝ようよ」と訴えてみたものの、

彼の中の ”ON THE ROAD” は華僑に入ってしまったらしく

「まだまだ!」とノリノリだった。


のび太くんみたいに温厚だった彼の目は、いつの間にか星一徹のように燃えたぎっていて

少しでも気を抜いて一度聞いたことを間違えたりすると

「何で解らないの!さっき言ったでしょ!」と

容赦ない叱咤激励(?)が飛んでくるので、おちおち聞き流すことも出来なかった。


♪誰か~オ~レを静か~に~眠らせて~くれ~もう疲れた~

・・と心の中で願ってみたが叶うわけも無く、

結局この地獄の特訓は彼が降りるドイツに着くまで続いたのだった・・  

オランダ到着!

オランダ到着!

ドイツに着き、ヤツが・・失礼、彼が

「じゃあ良い旅を!オランダまで一緒にいてあげられないのが残念だ」

みたいな事を言ってくれたので、小躍りしたい気分をひた隠し精一杯寂しそうな表情を作って

「私も 残念です。」と言い別れた。


そして再び飛行機がオランダに向け飛び立ち、

「さー寝るぞー!」と思ったら機内サービスの朝食が運ばれてきた。

せっかくなので食べていたら”まもなくオランダ到着”のアナウンスが・・

ドイツ~オランダは一時間位で着いてしまうようだ。


眠い目をこすり、♪窓の下遠く点滅するネオン・・じゃなく

窓の下に広がる太陽の光を浴びて広がるオランダの田園風景を

期待と不安の入り混じった気持ちで眺めていると、

今まで強烈な個性の台湾人の影に隠れていた通路側の白人のお姉さんが一緒に窓を覗き込んできて、

窓の下の町を指差し慈愛に満ちた笑みで、

「アムステルダムよ。」と解りきったことを教えてくれた。


もしかして今までの台湾人とのやりとりを聞かれていて

私は ”おバカ” という烙印をおされてしまったのか?

そして台湾人が去った今、

 

『今度はこの子の面倒は私がみなくちゃ』

とでも思われてしまったのか?!(被害妄想もいいとこ?)

光のない宿

光のない宿

朝8時、徹夜明けのようなぼろぼろの状態でアムステルダムの空港に到着。

さあ、いよいよここからは自分で宿を探しながらの旅だ!


電車に乗り換えアムステルダム中央駅に着き、駅の外に出たら

 

目の前には絵本のようなヨーロッパの街があった。



その初めて見る美しさに暫く感動して動けず、

眠気も吹っ飛んで10分くらいボーッとしてアムステルダムの街の風景に見とれていた。


やがて我に返り、

 

『さあ、まず宿探しね』と石畳の道をスーツケースをごろごろいわせながら歩いていくと、

 

路地の奥に1階がバーで2階がホテルになっている店を見つけたので、ドア越しに覗いてみると

 

おかみさんと娘さんらしき人が笑顔で手招きしてくれたので、吸い込まれるように中へ入った。 


そこは朝だというのに中のバーは真っ暗で、

あまりの暗さにどうしようか迷っていると、おかみさんが

 

「部屋見てみる?」と言ってくれたので見せてもらうことに。


部屋は狭く、窓の外は隣のビルの壁が迫っていて

電気をつけないと朝でも真っ暗だったが、

 

シーツは清潔で値段も安かった(当時3千円くらい)からここに決めることにした。


荷物を解き、ひと段落したので街を軽く散策し

ホテルの向かいにあるジューススタンドでとっても美味しいサンドイッチとオレンジジュース

を飲みながら、親や友人に絵葉書を書いた。


ここまでの出来事がたくさんありすぎたせいで

葉書の宛名を書くとこを9割方使って
細かい字でびっしり書いてたら

目標7人のとこ3人目で力尽き、

 

強いスイマーに・・いや、睡魔に襲われたので

ひとまずホテルで仮眠をとることに。


目が覚めると時計が8時を指していたが、部屋が暗く朝か夜か解らなかったので

一階のバーに降りていくとさらに真っ暗だった。


おかみさんが「モーニン」と挨拶してきたので朝だと解り、

(なんと16時間も寝てしまったらしい)

朝食を用意してくれたので真っ暗なバーの片隅で一人で食べた。


他にお客は誰もおらず、途中でおかみさんもどっか行ってしまい

場末のバーに一人取り残されたようで息苦しくなり、

朝食もそこそこに『もっと光を』とつぶやき外へ出た。

okami.bmp

宿の女将さんと娘さん。
この写真を撮ったのは朝だよん。

現地ツアー

現地ツアー

息苦しいと言ったわりに、3日目の朝にはその暗さもすっかりクセになり、

本当は今日ドイツに発つ予定だったのだけど

オランダが気に入ったのでもう2泊延ばすことにした。(私も it's so easy!)


”インフォメーション”と呼ばれる観光案内所に地図を貰いに行くと

現地ツアーのパンフレットがたくさんあったので

『外国のツアーってどんなんだろう』と興味が湧き、

勇気を出して参加してみることに。


どのツアーにするか迷いたかったが、

英語で書いてあるパンフレットが殆ど読めず、かろうじて読めた

”cheeze”とか”factory"と書いてあるのを選ぶしかなかった。

(こんな程度の語学力で参加して大丈夫か??)


受付に行き、パンフレットを指差し 

「これお願いします。」と申し込むと、

受付のお姉さんが親切に集合時間と場所を紙に書いてくれて、

「黄色のバスよ」と教えてくれたので

『なーんだ、簡単じゃん♪』と思い、時間になって集合場所へいってみると 

黄色のバスは5台も停まっていた。


『おうおう、こちとら外人なんだよ。もっとちゃんと教えんかい、わりゃ』

と少々ガラが悪くなりながらも、せっせと一台ずつ聞いて回って

4台目で見事ヒットし(遅)バスに乗り込むと、きれいなガイドさんが

「英語の人~」とか「ドイツ語の人~」

 

とか言って何語でガイドするか多数決を取り始めた。


「日本語の人~」と言ってくれるのを待っていたが

最後まで呼ばれず、結局ガイドは英語で決定。(日本人は 私一人だった。)


私の隣は品の良さそうなスウェーデン人のおばさまで、

バッグからハーシーズのようにデカい板チョコレートを出して勧めてくれた。



実はこう見えて当時私はチョコが苦手だったので

あまり欲しくなかったが、せっかくなので頂く事にし 

「OH!サンキュー!」と言いながら

端の方を持って一かけらだけ割るつもりでチョコを割ると、

力加減が悪かったのか、なぜか7:3の割合で割れてしまい、

私に「7」が残った。


あわてて「ごめんなさい」と返そうとしたら おばさまが

「いいのよ、全部食べてちょうだい」と言うので泣く泣く食べた。

obasama.bmp

隣の席のスウェーデン人のおばさまと

​恐るべしリチャード

ツアーは、最初に風車を見に行って

その後木靴を作っている職人さんを見たり羊を見学したりしてからチーズ工場に行った。



そこでガイドさんの説明を受けていると(正直さっぱり解らなかったよん)、

同じツアーに一人で参加してる東洋人らしい男性と目が合った。


そしてその人が近づいてきて、私に

「この次は昼食になるからよかったら一緒にどう?」

と言ってくれたので、一緒に昼食をとることに。   


(ツアーの昼食は、おのおので好きなものを食べて、

40分後に再びバスに戻ることになっていたのだ。)


彼はシンガポール人で名前はリチャードだと名乗り、

すぐそばの海が見えるレストランに連れて行ってくれた。



席に座ってメニューを開き、

「まかせてもらっていいか?」と言うので、

「お願いします。」とまかせたら、5人分くらいの料理が出てきて驚いた。


休憩時間はあと20分切っていたので、

『なんなんだ、この人は』と思いながらも、

せっかくなので(この言葉よく使ってる?)
完食目指して頑張っていると、

 ダメ押しのように新巻鮭大の魚が運ばれてきた。


『きっとテーブルを間違えてるにちがいない』と思い

救いを求めるようにリチャードを見たが彼は、

「さあ、遠慮しないで」と無邪気に勧めているだけだった。

♪まるで~ 悪夢のように~ Whaaaao!!


この時点で完食はあきらめ、残すことが申し訳なかったので

「もう少し時間があれば・・」と言い訳すると、

何を勘違いしたのか リチャードが、

「OK!僕もこの後時間はあるからツアーが終わった後に食事行こう」

とお門違いな事を言い出した。



さすがにそこまでは行かないぞー!と

 

母がホテルで待ってる事にし

「日が沈むまでには帰るように言われているから」と断ったら、

「OK!じゃあ日が沈むまでに食事しよう!」

と、逆にもう断れない状況になってしまった。


何で私なんだよ?!  ・・まあ、嬉しかったけどさ(うそ)


ツアーが終了し、リチャードが

「さあ、早くしないと日が沈んじゃうよ」と急いでやって来、

「ここでいいかな」と案内したのはインド料理屋だった。


しかたなく席に着くと、リチャードがまた

「まかせてもらっていいか」と言ってきたので

「NO!!」と言ってメニューをひったくり

一番量の少なそうなのを注文した。(写真つきで助かった)


約束どおり、日が沈みかけるとリチャードが

「じゃあもう行かないとね」と言ってくれ、

「ホテルまで送っていってお母さんに挨拶する」と言うのを

あの手この手でごまかして別れた。  

恐るべしリチャード
いざドイツへ

いざドイツへ!

あっという間に4日が過ぎ、まだまだ名残惜しかったが

これ以上の延長は後々のスケジュールに響くので、夜行でドイツのミュンヘンに行くことにした。


この旅では、時間と宿代節約のため8日ほど夜行を使う予定で、

今日が晴れてその初日となる。 


ユーレイルパスは使い始めの日付を駅員さんに記入して貰い、

そこから21日間まで乗り放題というもの。



ドイツでの滞在予定が一週間ほどある私は、オランダ→ドイツまでは別に現金で払って

ドイツを出る時にパスを使い始めるのが得策と思い、

窓口でドイツまでの簡易寝台つき夜行の切符を買ったら

1万4千円ほどして、けっこう高いのに驚いた。

これなら9カ国周れば充分元が取れるわ♪(パスは8万円弱だったから)  


ヨーロッパの鉄道の座席は、当時殆ど”コンパートメント”と呼ばれる

3人がけの席が向かい合った6人定員の部屋タイプで、

ちゃんとドアには鍵も掛けられるようになっていた。


私の乗った夜行もこのタイプで、昼は普通のコンパートメントだが

夜になると座席が2段ベッドの簡易寝台に変身するのだ。


どのように変身するかというと、椅子の背もたれ部分が可動式になってて

椅子の背もたれ部分を、下の方から90°手前に引くと上の段が出来、

椅子の座る部分は、そのまま1段目として使うという画期的なもの。



寝たくなったら、上段の人と下段の人がそれとなくタイミングを見計らって、

「じゃあ、そろそろ寝ましょうか」と交渉に入り、二人で組み立てるのだ。


私の相方はドイツ人のおばあちゃんで、名前を

「シャルロッテよ」 と教えてくれた。



本当はおばあちゃんが上段だったんだけど、

ハシゴを登るのがつらいから、私の下段と変えてくれと頼まれたので快くOKし

 

私一人で全部組み立ててあげたら

「ありがとう」と言ってバナナをくれた。


実は私はバナナも苦手だったので、ここはちゃんと断っておこうと

「ノーサンキュー」と言ったのに、おばあちゃんは

「いいから いいから」と言いながらバナナをむき始めてしまった。


むき出しのバナナを差し出されては食べない訳にいかず、

『何でこうなるんだろう、私がいけないのか?』

 

とまたも泣く泣く食べる破目に。


上段のベッドは、背もたれ分の幅しかないのでかなり狭かったが、

角度が90度よりも少し上になっているのでまず落ちることはなく、

電車の揺れが心地よく快適だった。

そして、まだ見ぬドイツに思いを馳せて眠りについた・・

rotte.bmp

バナナをくれたシャルロッテさん。
バックに移ってる赤い荷台みたいなのが、私の寝た二段ベッドの上段。

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